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February 26, 2008

日米の教育の違い?日本本来の文化を再認識する

岩元貴久です。

日本の方の中には、アメリカ人をして「アメリカ人は、自己主張をする人が多い。それはアメリカの教育が、個を尊重し、自己主張するような教育をするからだ」と考えている人が多いようです。

先日も、わたしのコーチングの生徒から同様の質問がありました。

実は何を隠そう、わたしもアメリカに移住する前は、同じように考えていたものです。

でも、15年近く暮らしていると、そして子供たちがアメリカの学校に行くようになって、アメリカの実際がわかるようになってくると、わたしが勝手にイメージしていたものが、どうやら違うということに氣づいたのです。

子供をアメリカの学校に行かせているわたしの目から見たアメリカの教育ですが、この教育方法で自己主張する人を育成できているか?といえば、わたしははなはだ疑わしく思っています。

なぜなら、アメリカで日本以上に「自己主張しなさい」というような教育はなされていないように思うのです。

むしろ、昨今の日本の方が「個が大切。もっと自己主張しなければならない」と教えているように思えてなりません。

そもそも、同じアメリカ内でも教育方針は学校でそれぞれ違うし、かつ教師によっても独自の教育方針をもっていますからね。

なので一概に、アメリカの学校が全体よりも個を重視して、自己主張できる人材を育てているとは思えません。

また、教師のレベルは、残念ながら一般の公立校は、非常に低いといわざるをえません。

それと、アメリカでも全体(他人)への配慮を教えることの方が多いと思います。

また、子供たちをみていて、学校の教育によって彼らが自己主張をするように育っているかといえば、そうではなく、家庭生活の中で成長するにしたがい自分を主張することを覚えているように思います。

授業参観もこれまで実際に数回訪れて教育現場を観てみましたが、やはり、自己主張できる子供を育てるための特別なことをしているかといえば、そうではありませんでした。

実際に、アメリカ人の多くは、人前でスピーチをするのを恥ずかしいと思うようです。

日本の方がイメージしているアメリカ人の外交上手、スピーチ上手、堂々とした振舞いというのは、ステレオタイプのものであり、大半のアメリカ人とは異なります。

もちろん、そういう人もいるにはいますよ。

でも、それは日本でも同じですよね。

まぁ、どちらかといえばアメリカ人のほうが、人前で堂々と話せるタイプの人の割合が多いとは思います。

それからスピーチが上手な人だけをみれば、やはりアメリカ人のそれのほうが日本人よりも上手だと感じます。

特に国際政治の舞台での政治家の振舞いをみれば、アメリカの政治家のほうが日本の政治家よりも、立ち居振る舞い、スピーチが堂々としていますね。

また、それは政治家だけでなく、経済界、芸能界、スポーツ界でもいえるでしょう。

では、そういう国際舞台でどうして日本人が目立ず、立ち居振る舞いが堂々として見えないのか?

それは、語学という要因もあるでしょうが、それ以上に日本人の中にある1つの価値観が大きいと、わたしは個人的に思っています。

しかも、その価値観は、本来の意味とは異なる形で、つまり誤解されて受け取られていて、それを正す必要があるのではないかと思っています。

では、その日本人が世界の舞台で堂々としていない、個の輝きを失わせてしまっている価値観とは何か?というと。

それは、「恥の文化」だと、わたしは個人的に思っています。

ただし、誤解しないでくださいね。わたしは正しい意味での「恥の文化」は、すばらしいものだと考えています。でも、どうもわたしたちの多くは、この「恥」という言葉の意味のとり違いをしているように思えてならないのです。

説明しますね。

わたしたち日本人が「恥」という言葉を、文字だけでとらえたとき、直観的にイメージするのは「恥ずかしい」という意味合いではないでしょうか。

そして、わたしたちはできるだけ「恥ずかしい」という想いをしないように心がけますし、また世間もそれを軽蔑するような考えがあるように思うのです。

例えば、教育の現場でこういうのがよく見られます。

先生が「この問題、誰かわかる人?」と尋ねると、生徒はわかっているにも関わらず、手を挙げるのを躊躇します。

その理由は「たぶん答えはこうだと思うのだけれど、もし間違っていたらどうしよう・・・」と考えるのです。

それから「手をあげて答えること自体が恥ずかしい」という考えもあります。

こうした考えは、「恥ずかしいことをしてはいけない」という価値観から生まれます。

それは、「恥ずかしい」が、人とは違うことをしてはいけない。人より目立ったことをしてはいけない、間違ったことをしてはいけない。それは、恥ずかしいこと=やってはいけない誤りだという考えに立脚しています。

それから、先の例で、実際に手をあげて答えたことが間違っていた時、周りの反応はどうかというと。

他の生徒は間違った答えを言った生徒に対し、笑います。

なぜ笑うかといえば、「間違っているのに、手をあげて答えた」「手をあげたことで、目立つこと(人と違ったこと)をした」ことへの非難です。

根本にそういうことをしてはいけない、つまり目立つこと(恥ずかしいこと)をしてはいけないという考えがあるからです。

それと、教師が間違った答えを言った生徒に対して、ちょっと皮肉ったコメントを返すことがありますね。これが、手をあげて積極的に答えるという生徒の意思をくじかせる要因になってしまうと思うのです。そういうことがあると、そういう考えがますます生徒間に浸透していきますから、教師の方には氣をつけていただきたいです。

こういうとき、アメリカではどうかといえば、教師は「Good try(惜しいな。でも、よい発言だったよ)」と言います。

他の生徒たちは、間違ったことをまったく問題にしません。間違った答えを言った生徒を嘲笑することは一切ないのです。

これは、教育として「教えている」ものではなく、アメリカ社会にある価値観からきているものです。

間違った発言をしたとしても、そういう態度をとらなければならないと教科書で教えていません。それは逆の意味で日本でも同様ですよね。

家庭で、教育の現場で、社会生活の中で、そういう価値観が普通になっている文化があるということです。

日本では「恥」という文字を「恥ずかしい」と連想付をしてしまっているため、本来持つ意味を正しく理解せず、現在のような積極性を損なう文化をつくってしまっているように思います。

わたしはつぎのように考えます。

本来の「恥」とは、自分ができることであるにも関わらず、それを自発的に行動することができないこと。

つまり、その「行動を起こす勇氣をもたない」こと。

また、自分の信念を他人が非難することに対して、恐れない勇氣をもたないこと。

それを「恥」と思うことが、本来の「恥の文化」です。

また、周り(他人)に対して「恥」と思うのではなく、自分自身に対して「恥」と思うことなのではないかと思うのです。

「恥ずかしい」などと矮小なレベルのものではなく、ずっと高潔な信念を貫くゆるぎない勇氣をもつプライドこそが、本来の「恥の文化」にある価値観なのですね。

テレビ番組で、サムライがプライドを傷つけられたと言ってすぐに怒ったり、逆に切腹したりというのは、まさしく「恥ずかしい」という誤った価値観であり、それをマスメディアを通して、わたしたちは誤解してしまっているように思います。

本当のプライド・・・高い精神性をもった考え、価値観、人格を、わたしたちは再認識するのも、これからの世界の中の日本という位置づけの中で大切なことだと思うのです。

コメント(3)

岩元様

勇気をありがとうございます!
実は今日(27日)これから、初めて大勢の前で講師としてスピーチをするのです。
大勢といっても30名程なのですが、ここ数日「失敗しないだろうか?恥をかかないだろうか?」と心配し続けていました。

今回の講師をお受けするにあたっても、正直自信が無かったのですが、「先ずは行動しないと始まらない!」と思い引き受けました。

実は1年以上前に台場でのセミナーで岩元様にお会いしています。その時はイデトシカズさんのお手伝いで会場にいたのですが、岩元様の自信溢れたスピーチを今でも覚えています。表情や手の動かし方、歩き方など言葉以外に伝わってくる何かを感じました。

さぁ、これから思いっきり楽しくスピーチをしてきます。今日が今までの人生で最高の日であり、今後の人生の素晴らしいスタートとなるように!

ありがとうございました。

投稿者 岡田 誠 : February 27, 2008 12:00 PM

岩本様
 
 はじめまして。H.T.と申します。

 ご指導ありがとうございます。 

 恥について。

 私自身、昨年ごろ、講義の場で、質問の時間に質問をして会場の失笑を買う場面が再三ありました。
 が、私自身は、爽やかな気持ちでした。それは、質問することが、講義に関する自分自身の理解を深めるためにも役立つことだし、講義室の空気を調和させることでもあるという、根拠のない自信があったからだと思います。

 私にもし子供がいるなら、こういってあげたいと思います。
 「自分自身を大切にしなさい。そして、自分の周囲の人たちを大切に思いなさい。
 この基本線からうっかり外れたときに、あなたは、恥ずかしいと感じるだろう。」と。

 失礼いたしました。

投稿者 H.T. : February 27, 2008 3:06 PM

日米の文化の違い・・・とまでは考えていなかったのですが、道場ではよくまさわた道場名物!質問タイムというのを設けています。

普段、こうなりたい!とかどうしてだろう?とか考えている塾生は、パッと手を挙げます。

【質問力】というのが実力差を生むんですね。

また、「意識の空道から無意識の空道へ」ということを言っています。

意識してやっていることが、無意識でできるようになる。

そうすると本物に近づくと認識しています。

今回のTakaさんのブログの内容や、H.Tさん、岡田さんのコメントに、日本的プライドや恥の文化を正しく理解することは、道場で指導する上で必須のことだな・・・と納得させていただきました。

今日もありがとうございます!

投稿者 空道まさわた : February 27, 2008 7:52 PM



February 12, 2008

過去との決別・・・新たな出会い

岩元貴久です。

ミクシィ日記から「過去との決別・・・」を紹介します。

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アメリカのビジネス思想家として有名なジム・ローンが「自分自身を取り巻く環境や経済的な状況をよりよいものにしたいなら、未来に向けた努力だけでなく、過去から引きずっているものも、きちんと正さなければならない」と、その著書『逆境は天からの贈り物』の中で述べています。

わたしたちを取り巻く環境とは、付き合っている友人や読んでいる本、見ているテレビ番組、住居、よく利用しているレストラン等々をさします。

特に重要なのは、付き合っている人です。

「君の仲のよい友人を3人、連れてきなさい。そうすれば、君がどんな人生を送っているか正確に言い当てることができるだろう」という格言があるように、わたしたちは自分と似たような人たちと付き合う傾向があります。

ここで、重要なことをお伝えしますね。

成長とは、あなたの持つエネルギーの上昇を意味します。

エネルギーとは、あなたの思考のことです。

あなたの考えが変わると、エネルギーが変質します。

エネルギーの変質とは、エネルギーのもつバイブレーション(振動数)が変わること。

バイブレーションは、同じ振動数をもつものと共鳴し、引き合います。

つまり、あなたが今付き合っている人たちは、今のあなたのエネルギーと同レベルのエネルギーを持つ人たちです。

つまり、あなたの周りにいる友人たちは、あなたと同じような考え方、価値観を持っているということです。

似た者同士・・・類は類を呼ぶ・・・とは、こういうことを指すのです。

さて、ここで誤解のないように本質に耳を傾けて聞いてくださいね。

あなたが、自分の置かれている現状に満足できない、いやむしろ現状に不満を抱いているなら、あなたは今お付き合いしている友人と離れなければなりません。

こういうことを言うと、あまり氣持ちのよいものではありませんね。

でも、これは致し方のないことなのです。

もし、あなたが今の現状にとどまる、現状の延長線上にある将来を喜ばしく思うなら、今の友人と付き合っていてよいと思います。

でも、まったく異なる将来をもとめるなら、今お付き合いしている友人とは付き合いをやめるべきでしょう。

いや、あなたは付き合いをやめなくても、友人たちの方から、あなたから離れていくことでしょう。

このとき、その友人たちを追い求めてはいけません。

これはとても大切なことなので正しい理解をもって聞いてくださいね。

例えば、あなたが、これまでの自分からするとずっと高い志(夢・願望)をもったとします。

そして、その志を友人に語ったとき、周りの友人たちがあなたの夢をサポートすればよいのですが、多くの場合それとは逆のことが起こるでしょう。

「よせよせ、そんなの無理に決まってるだろう」

「ハハハハ、お前が?本氣で言ってるのか?冗談だろ?ハハハハ」

「おいおい、夢を見るのは勝手だけど、こっちに迷惑をかけるなよ。お金を貸してくれなんて言わないでくれよ(笑)」

「よーく考えた方がいいと思うよ。それって難しいと思うよ。前に失敗した人がいて、悲惨な人生を送っているという話を聞いたことがあるし」

「ほーぅ、お前ってそういうこと考えてるんだ。まぁ、せいぜい夢でも見てれば」

このように、今までよりもずっと高い志に向かって進もうとするあなたを引き留めたり、自信をくじくような言葉をかける人が周りにいないとも限りません。

特にあなたと親しい人、家族は、本来そういうつもりはなくても、結果的にあなたの足を引っ張るような無思慮な助言をします。

「本当に大丈夫なの?」

一見、あなたのことを思ってかけている言葉のように思いますが、その言葉の裏にはあなたへの信頼が欠けているのです。

あなたが高い志を持つということは、あなたのエネルギーレベルが高くなったことを意味します。

そうすると今までのエネルギーレベルで共鳴していた周りの人たちは、それを不快に感じます。

なぜなら、バイブレーションがかみ合わないため、共鳴できず、共感・同調することができないのです。

そして、あなた自身も周りの人から賛同もらえず、なんとなく居心地の悪い思いをすることでしょう。

重要なのは、このときです。ここであなたがどのような選択をするか?

「やっぱり、皆が言うように自分には無理だよね」と言って、従来の思考レベルに戻るか?

それとも「自分の考えを、彼らは理解してくれないようだ。でも、自分はこの夢を実現できると思う。必ず実現してみせるぞ」と言って、自分の道を選ぶか?

とても重要な選択です。

よく「付き合う友人を選びなさい」という言葉があります。

でも、正しくは「あなたがもとめる志を選びなさい」なのです。

あなたが、高い志をもったとき、あなたのエネルギーレベルが一段高くなります。

そうすると、これまで付き合ってきた友人たちと共感することが難しくなります。

このときあなたが志をもとめることを選択し維持し続けると、周りの友人が自然に離れていくことになります。

そして、新しいエネルギーレベルを持ったあなたのもとに、共鳴する新しい友人が寄ってくるでしょう。

だから、友人は選ばなくてもよいのです。

あなたの志を選ぶようにしてください。

最後に、よい友人とはお金を持っていたり、仕事で成功していることを指すのではないということを申し上げておきます。

よい友人とは、あなたの人生を向上させてくれる考え方や態度を備えている人のことをさします。

あなたの理想としている将来のあなたの姿(人格)になることにプラスになる人たちのことです。

そして、そういう人たちは、あなた自身の志、思考に引き寄せられるのだということを覚えておいてください。

ありがとうございます。

Taka

コメント(1)

Takaさん、いつも素晴らしい氣づきをありがとうございます!

ぶったまげるようなレベルにまた一歩近づいています。

ワクワクしています。

いい人材がドンドン寄ってくるようになりました。

ありがとうございます!

投稿者 空道まさわた : February 12, 2008 1:38 PM



February 9, 2008

自分からすべてが起こっている

岩元貴久です。

今回は「自分からすべてが起こっている」をテーマにお話しします。

ちなみに、今回の記事もミクシィ日記に書いたものです。

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日記の読者からのコメントで「批判」について、どう受け止めればいいのか、わたしの考えを日記にしてくださいというものがありました。

自分がうまくいくようになると、自分に対し批判する声が聞かれるようになったという読者のお話でした。

そこでわたしの考えを述べますね。

結論から言うと、他人からの「批判」というものは存在しないということです。

他人は意見を述べはしますが、批判は述べることはできません。

なぜなら、批判は、それを受けた自分がその意見を「批判であると解釈したとき」に起こるものであるからです。

自分しか「批判」を作り出すことはできないのです。

それが証拠に、同じ意見であっても、その意見を誰が発するか?どのような状況の中で述べられたものかによって、「忠告」と受けとめることもあれば「指導」と受けとめることもあるのですから。

読者の方の質問の意図は、また別のところにあったのかもしれません。

批判されることが多くなったので、それをどのように処理したり、この問題をいかに解決すればよいのか、わたしの意見を参考までに聞きたいというものであったのかもしれません。

わたしはつぎのように考えます。

問題は、解決しても、今後も何度も同じようなことが繰り返し起こってしまうと。

なぜなら、問題は自分の心(解釈の仕方、判断の基準)が生み出すものだからです。

なので、他人の意見を「批判」として捉える限り、1つの批判をうまく対処したとしても、またつぎに誰かの意見を批判として考えることになるでしょう。

そのたびに、いちいち批判を処理する(乗り越える)ことを繰り返すことになるでしょう。

なので、問題をいくら解決しても、真の意味での解決にはいたらないのです。

自分の中に問題を生み出す原因がある。それは「批判」として解釈してしまう自分の考え、心のあり方です。

★本当によいのは、問題自体を「解消」することです。★

問題が二度と起こらないようにすることです。

それはこの場合、「批判」という解釈をしないことに他なりません。

考え方の根本には、誰かが自分に対して発した意見を、「この意見の中に、自分の人生を前進させる氣づき(教え)があるだろうか?」と考えることです。

自分を幸せにしてくれるアイデアを、他人からいただくようにしましょう。

もし、その意見に、何も自分を成長させてくれるものがないとしたら、それだけのことです。

他人の言葉に反応するのではなく、自分の望むこと(幸せや成長)にプラスの教えがあるかどうかを問いかけることです。

以上のようにわたしは考えます。でも、これが正解ではありませんよ。あくまで、わたしの個人的な見解です。

と、まぁ考え方のポイントは今述べたとおりなのですが、なかなかそう考えることができないこともあるでしょう。

いったん心が批判と感じてしまったら、あまり嬉しいものではありませんよね。

実際、自分が成功すればするほど、周りから批判めいたこと、中傷がネット上の掲示板に書かれたり、メールで送られてくる・・・こういう経験をお持ちの方もいらっしゃることでしょう。

これは成功している人に共通した経験でもあります。

こういうとき、どうすればよいか?

いろいろあると思いますが、わたしは「無視」を正しく行うことだと思います。

誹謗中傷の類のメールや書き込みは、単に無視してしまえばよいです。

絶対に反論してはいけません!←これがとても大事。

無視し続けることです。そうすれば自然に誹謗中傷はなくなります。反論は、誹謗中傷にとってエネルギーになります。なのでエネルギーを与えなければ、いつかエネルギーが底をついて誹謗中傷はストップしてしまいます。

また、無視を正しく行うという意味では、つぎのような行動も1つです。

例えば、ご自分が発行しているメルマガに対して、誰かが中傷するような意見をメールで返信してきたら、アカウントからデリート(削除)してしまえばよいです。

それは、そのメールを送ってきた人自ら、わたしはあなたにとってふさわしい読者じゃありませんよと、わざわざ教えてくれたことになります。

だから、そのときは「教えていただいてありがとうございます。喜んでメール配信リストから削除させていただきますね」と心の中で言いながら、デリートすればよいのです。

そうすると心がすっきりしますよ。

人生とは、自分の心が感じた想いの蓄積に他なりません。

経験したこと以上に、経験をどのように心が受け止めたかなのです。

幸せな人生を歩みたいのなら、できるだけ「幸せ」な思いを心が感じるように解釈力をつけることが大切です。

これをして、「積極的な心構え」と呼ぶのですね。

ありがとうございます。

Taka

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